文学のお散歩

東京近郊・近代文学を中心に作家・作品ゆかりの地をご紹介します。

芥川龍之介

新宿~芥川龍之介居住跡

明治43年の水害を機に、本所両国から田端へ引っ越すことになった芥川家。 masapn2.hatenablog.jp 本所の家を釣具屋の石井さんに譲ったあと、明治43年10月から大正3年10月に田端の新居が出来るまでの約4年間、新宿に仮住まいしていた時期がありました。 masa…

柴崎牛乳本店

柴崎牛乳本店。鎌倉・長谷にある老舗の牛乳屋さんです。 明治22年に、横須賀の軍艦造船所に勤めるフランス人技師たちに向けて牛乳を販売するために、この地に開店されたのだそうです。 レトロな佇まいのかわいらしいお店。なんでも近くにある鎌倉文学館をま…

元八幡~芥川龍之介居住跡

横須賀で海軍機関学校の英語教官をしていた芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)は、大正7年2月に塚本文(明治33.7.6~昭和43.9.11)と結婚。翌3月、下宿先の横須賀から鎌倉町大町字辻小山別邸内に居を移し、新妻文、伯母、女中を迎え新婚生活に入りま…

法泉院~芥川龍之介生育の地番外編

太田道灌(永享4~文明18.7.26 室町時代の武将)が、江戸築城のさい城内鎮護の祈願所として開いた墨田区太平にある「法恩寺」。 その塔頭である「法泉院」には、芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の田端の家にあったという「灯籠」があります。 芥川龍…

臥龍梅(亀戸梅屋敷)跡~芥川龍之介生育の地その10

芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)最終章は、「方丈記」と題して「僕」「妻」「父」「母」「伯母」の会話形式で綴られていきます。 僕「けふ本所へ行つて来ましたよ。」 父「本所もすつかり変つ…

船橋屋~芥川龍之介生育の地その9

僕等は「天神様」の外へ出た後、「船橋屋」の葛餅を食ふ相談をした。(「天神様」) masapn2.hatenablog.jp 芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)の「僕等」一行は亀戸天神に詣った後、参道出てすぐ側…

亀戸天神~芥川龍之介生育の地その8

芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)、「萩寺」を出た一行は亀戸天神へ向かいます。 masapn2.hatenablog.jp 亀戸天神は言わずと知れた、学問の神様菅原道真公(承和12.6.25~延喜3.2.25 平安貴族・学…

柳島・萩寺あたり~芥川龍之介生育の地その7

芥川龍之介が幼少期の回想を交えながら綴ったルポタージュ「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)は、両国停車場・両国橋からスタートし、その後「一銭蒸気」と呼ばれた小型の遊覧船に乗り、隅田川を遡上していきます。 現在の両国橋下 隅田川を…

百本杭・お竹倉跡~芥川龍之介生育の地その6

隅田川河畔両国橋のやや北寄りに、江戸から明治にかけて何本もの杭が打たれていたところがあります。 「百本杭」。 水量の多い隅田川。両国橋辺りは川の湾曲が強く特に水勢が強い所であるため、それを和らげるための杭が、この辺りに何本も打たれていたのだ…

両国橋~芥川龍之介生育の地その5

両国の鉄橋は震災前と変らないといつても差支ない。たゞ鉄の欄干の一部はみすぼらしい木造に変つてゐた。この鉄橋の出来たのはまだ僕の小学時代である。しかし櫛形の鉄橋には懐古の情も起つて来ない。僕は昔の両国橋にーー狭い木造の両国橋にいまだに愛惜を…

両国高等学校~芥川龍之介生育の地その4

両国高校は、明治34年に東京府立第一中学校(現・日比谷高校)の分校として開校した学校です。当時は府立第三中学校といい、明治38年から43年まで芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)が在籍していた学校としても知られています。三中時代の芥川は、英語…

慈眼寺~芥川龍之介の墓

JR山手線の巣鴨~駒込間にある「染井霊園」の先に、「慈眼寺」という日蓮宗のお寺があります。どちらかというと、おばあちゃんの原宿でお馴染みの巣鴨から行った方が近いのですが、あえて駒込で下車。というのも、慈眼寺には芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.2…

回向院~芥川龍之介生育の地その3

両国にある回向院は、江戸時代に起きた明暦の大火(振袖火事)で亡くなった方々を、供養するために開かれた浄土宗のお寺です。 江戸市街の6割が焼失し、10万人もの命が失われた明暦の大火。亡くなった方々ほとんどの身元や身寄りがわからなくなってしまってい…

両国小学校と吉良邸跡~芥川龍之介生育の地その2

両国4丁目にある墨田区立両国小学校は、もとは両国回向院の民屋を借り受けて開校された学校で、かつては江東尋常小学校と呼ばれていました。近くに養家のあった芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の母校としても知られている学校です。 小学校の一角…

芥川龍之介生育の地

JR総武線両国駅東口を出て、横綱横丁を抜けると「芥川龍之介生育の地」があります。 左側に、 この案内板。 芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)は、生後約7カ月で母ふく(万延元.9.8(陰暦)~明治35.11.28)発狂のため、ここ両国の地にあった、ふくの実…

芥川龍之介生誕の地

築地、聖路加国際病院の北側辺りに「芥川龍之介生誕の地」があります。 芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)は明治25年3月1日、新原敏三(嘉永3.9.6(陰暦)~大正8.3.16 耕牧舎経営業)ふく(万延元.9.8(陰暦)~明治35.11.28)の長男として、この地、東京市京…

そば処浅野屋~田端その5

田端文士村記念館横の江戸坂を上って、コンビニの角を右折し進んで行くと、 右手に「そば処浅野屋」というおそば屋さんが見えてきます。 ここは芥川龍之介が贔屓にしていた、といわれているおそば屋さんです。 創業は大正5年。芥川が田端に住み始めたのが大…

和田塚~芥川龍之介居住跡

江ノ電和田塚駅。鎌倉の隣の無人駅。江ノ電の中でも、特にこぢんまりとした駅です。 和田塚には、その名の通り「和田塚」があります。 「和田塚」は、鎌倉前期の建暦3年、鎌倉で起きた和田義盛の乱で、北条義時と戦って敗死した和田義盛とその一族を埋葬し…

力餅屋

江ノ電長谷駅を海側へ出て、極楽寺方向へ進んで行くと右手に、まるでタイムスリップしたかのような、古色を帯びたお店が見えてきます。 「力餅屋」。 創業は江戸元禄年間の、由緒ある和菓子屋さんです。 平安時代の武将、権五郎景政の武勇を伝え偲ぶよすがに…

芥川龍之介記念館建設開始⁉

田端の芥川龍之介旧居跡の隣地に、ずっと建設予定だった「芥川龍之介記念館」が、ようやく着工へ向けて始動しそうです。 www.asahi.com 北区が平成30年から建設を予定していた「芥川龍之介記念館」。 コロナ禍を挟んで、ずっと建設が延期されたままになって…

団子坂

東京メトロ千代田線千駄木駅を出ると、すぐ西に上がる坂が「団子坂」。 名前の由来は、昔、坂の下に団子屋があったからとか、急な坂なので雨降りのとき、転ぶと泥団子のようになるから等々、いわれのある坂道です。 他にも「潮見坂」「千駄木坂」「七面坂」…

上の坂から与楽寺坂、天然自笑軒跡~田端その4

田端の高台にある芥川龍之介居住跡から東南に下っていくと、 masapn2.hatenablog.jp 階段状の細い小さな坂道があります。 看板をみると「上の坂」。 坂の名の由来は不詳だそうです。 近くに住んでいた芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)、香取秀真(明…

芥川龍之介旧居跡~田端その3

大正3年10月末、芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)一家が、北豊島郡滝野川町字田端435番地(現田端1丁目19-18)に家を新築し、引っ越してきました。 (一高時代の芥川龍之介) 芥川の家は、もとは本所両国にありましたが、明治43年の夏、本所界隈は大…

カフヱーパウリスタ

銀座に現存する最古の喫茶店「カフヱーパウリスタ」。 明治44年に、南鍋町(現在の銀座6丁目)にオープンしました。 創業者は水野龍。ブラジル移民を仲介する、皇国殖民合資会社の社長でした。 水野は、ブラジルへの日本人移送の見返り、及びブラジルコーヒー…

うさぎや

上野広小路にある「うさぎや」。 大正2年創業の和菓子屋さんです。 「どらやき」が有名な、現在でも行列の絶えない人気店です。 創業者は谷口喜作(明治35.6.16~昭和23.5.25)。 俳人でもあり、河東碧梧桐(明治6.2.26~昭和12.2.1 俳人)主宰の俳句雑誌『海紅』…

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また肖像画像は、国立国会図書館電子展示会「近代日本人の肖像」https://www.ndl.go.jp/portrait/より転載しています。