JR山手線の巣鴨~駒込間にある「染井霊園」の先に、「慈眼寺」という日蓮宗のお寺があります。どちらかというと、おばあちゃんの原宿でお馴染みの巣鴨から行った方が近いのですが、あえて駒込で下車。というのも、慈眼寺には芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)のお墓があり、田端に住んでいた芥川家の人々は、隣の駒込からお墓参りに向かっていたからです。
芥川龍之介の妻文(明治33.7.8~昭和43.9.11)は、『追想芥川龍之介』(1975.2.15 筑摩書房)で、
「慈眼寺は染井の墓地の中を通り抜けた所にあります。染井の墓地も駒込から八丁といわれて歩くとかなりの距離ですが、その街を貫く一本道を通るのが好きでした。
何となく昔のおもかげのある街並で、静かでやさしい街です。」
と語っています。
駅にも桜の名所散歩コースの看板が出ています。
江戸時代、染井の地には植木職人が多く住んでいて、ソメイヨシノはここで品種改良されて生まれた桜なのだそうです。
駒込駅を出て、芥川の墓に向かうのに格好の目印⁉になるのが、
「アクタガワチョコレート」の看板!
芥川製菓という菓子会社の建物で、芥川龍之介とは何の縁もゆかりもないのですがw、芥川の墓参をしようと思ってきた者にはうってつけ。「アクタガワチョコレート」の看板を左に見ながら「染井橋」まで来たら右折すると、文さんのいっている「一本道」に出ます。
この一本道は「染井通り」。染井らしく桜の木が植わっています。マンションなどが増え、文さんの通っていたときとは街並みももうずいぶん変わってしまっているのでしょう。かつてはもっときれいな桜の並木が連なっていたのかなと思います。
けれど「何となく昔のおもかげのある街並」「静かでやさしい街」という感じは、今で何となく偲ばれます。
そしてこの一本道を抜けると都営の染井霊園。芥川の眠る慈眼寺は、染井霊園を真っすぐ抜けた先にあります。
門柱に「禅宗慈眼寺」。
この山門を入ってすぐ左が墓所となっています。
墓所の入り口には、ここに眠る数名の著名人の案内板があります。
芥川龍之介の墓は「ハ之三側」とありますが、それをたどるまでもなく、この案内板から続く道を真っすぐ進むと白い立札。
さすが今も昔も人気作家。墓参する人も多いのでしょう。「芥川龍之介の墓」の標識が目立つように立てられています。
立札に従って小道を入っていくと、左手に
芥川家の墓と龍之介の墓が、並んで立っています。
龍之介の墓は、向かって左側の四角いちょっとずんぐりしたお墓です。
正方形に近い形のお墓なのですが、この形は龍之介本人の生前からの希望で、いつも龍之介が書斎で座っていた、座布団の寸法に合わせて作られたのだそうです。
てっぺんには芥川家の家紋の桐が彫り出されています。墓碑銘の「芥川龍之介墓」は、友人で芥川の単行本の装丁をよく担当していた、画家の小穴隆一(明治27.11.28~昭和41.4.24 画家)によるもの。
(田端の書斎の龍之介)
昭和2年7月24日未明。芥川龍之介は睡眠薬ベロナールとジャールの致死量を仰ぎ自殺。この地に埋葬されました。日本観測史上初の40℃を超える(7/22愛媛県宇和市40.2℃)猛暑の夏だったそうです。
先程の「芥川龍之介の墓」の白い立札の前には、谷崎潤一郎(明治19.7.24~昭和40.7.30 小説家)のお墓もあります。
谷崎のお墓は京都の法然院にあるのですが、ここ慈眼寺に元々あった谷崎の両親のお墓にも分骨されていて、弟の谷崎精二(明治23.12.19~昭和46.12.14 英文学者・小説家)も隣に眠っています。
谷崎と芥川といえば、芥川の亡くなる年に雑誌『改造』誌上の、「饒舌録」(谷崎)と「文芸的な、余りに文芸的な」(芥川)の連載で、小説における筋や構造をめぐる芸術性に関する論争、いわゆる「筋のない小説論争」を戦わせていた間柄。それも論争の相手芥川の自殺で、中途で終わってしまった論争を交わしていた間柄です。
そんな二人が、こんな近くで眠っていていいの⁇ゆっくり休めているのかしら⁇などと思ってしまう方もいるかもしれませんが、心配はご無用。二人が戦わせていたのは、あくまでも小説の表現や構成、芸術性に関する問題で、人として喧嘩していたわけではありません。芥川にとって谷崎は、敬愛する先輩であり、論戦中も一緒に芝居見物にいくほどの仲。文学という世界における戦友といっていい間柄です。草葉の陰で今でもきっと、互いを敬慕しあいながら、闊達な論戦を繰り広げていることでしょう。
文芸的な、余りに文芸的な/饒舌録 ほか 芥川vs.谷崎論争 | ||||
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谷崎のお墓の先には、江戸時代日本初の銅版画や油絵を描き、地動説の紹介もした司馬江漢(延享4~文政1.10.21 絵師・蘭学者)の墓も。
慈眼寺
東京都豊島区巣鴨5-35-33
☎0339101579
参考文献
『追想芥川龍之介』芥川文述・中野妙子記 1975.2.15 筑摩書房
『東京の文学風景を歩く』大島和雄 1988.4.25 風濤社
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