芥川龍之介(明治25.3.1~小説家2.7.24 小説家)が本所両国から内藤新宿に引っ越したあと、遊びに来る友人のために描いた地図を見ると、道中の目印として電車通りに面して「大きな笠をかぶった大佛様」というのが記されています(明治44.4.25 山本喜誉司宛書簡)…
只今、森鷗外記念館では「111枚のはがきの世界 伝えたい思い、伝わる魅力」展開催中です。 江戸千家家元・川上宗雪氏寄贈による、鷗外記念館収蔵の111枚のはがきの展覧会。 鷗外をはじめ、明治から昭和に活躍した文学者、美術家、ジャーナリスト等の数々のは…
慶應義塾大学三田キャンパスでは、11月12,13日にかけて「建築プロムナードー建築特別公開日」が開催されます。 www.art-c.keio.ac.jp 日頃は通常非公開の「演説館」や「ノグチ・ルーム」も、室内を見学することができます。 masapn2.hatenablog.jp 年に数日…
只今、鎌倉芸術館では、『鎌倉学散策「川端康成邸 庭園公開」』の参加者を募集しています。 年に一度ほどしかない貴重な機会です。私も昨年参加し、とても興味深く拝見してきました。 masapn2.hatenablog.jp 興味のある方はぜひ応募してみてはいかがでしょう…
只今、田端文士村記念館では、『作家・芥川龍之介のはじまり~書斎「我鬼窟」誕生までの物語』展開催中です。 芥川龍之介が田端に転入してきて、100年になることを記念しての展覧会。 芥川龍之介は大正3年の22歳から、昭和2年35歳でこの世を去るまでの13年…
明治43年の水害を機に、本所両国から田端へ引っ越すことになった芥川家。 masapn2.hatenablog.jp 本所の家を釣具屋の石井さんに譲ったあと、明治43年10月から大正3年10月に田端の新居が出来るまでの約4年間、新宿に仮住まいしていた時期がありました。 masa…
妙子は銀座まで出かけるなら、話に聞いているニュウグランドかローマイヤアへ行きたいと云うので、ローマイヤアということにしたが、あたしも行ったことがないねん、数寄屋橋で降りてどう行くのん、と、姉がかえって幸子に尋ねる始末であった。(中巻) 谷崎潤…
水道橋駅東口を出てすぐ、東京ドームシティの道を挟んで隣にあるとんかつの「かつ吉」。 ここはかつて川端康成(明治32.6.14~昭和47.4.16 小説家)と三島由紀夫(大正14.1.14~昭和45.11.25 小説家)の、文豪仲良しコンビが贔屓にしていたお店です。 店舗は地階。…
銀座の目抜き通り本店を構える「資生堂」。 誰もが知る化粧品メーカーである「資生堂」の創業は明治5年。洋風民間調剤薬局として、福原有信(嘉永1.4.8(陰暦)~大正13.3.31 実業家)が創業しました。日本初の練歯磨き「福原衛生歯磨石鹸」や、脚気の特効薬「脚…
「デモクラシー」 慶應義塾大学三田キャンパス生協食堂を飾る壁画です。 この壁画、もしかしたら三田の生協食堂に来たことがなくても、なんとなく見覚えがあるような気がする方がいらっしゃるかもしれません。というのもこの壁画、なんと上野駅中央改札の壁…
柴崎牛乳本店。鎌倉・長谷にある老舗の牛乳屋さんです。 明治22年に、横須賀の軍艦造船所に勤めるフランス人技師たちに向けて牛乳を販売するために、この地に開店されたのだそうです。 レトロな佇まいのかわいらしいお店。なんでも近くにある鎌倉文学館をま…
鎌倉土産「鳩サブレ―」でお馴染みの「豊島屋」。 鎌倉駅前店は「鎌倉の扉になれ!」という願いを込めて、鎌倉文士であった久保田万太郎(明治22.11.7~昭和38.5.6 小説家・俳人)が「扉」店と命名しました。 1階は名物「鳩サブレー」などのお菓子の売店と、「…
横須賀で海軍機関学校の英語教官をしていた芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)は、大正7年2月に塚本文(明治33.7.6~昭和43.9.11)と結婚。翌3月、下宿先の横須賀から鎌倉町大町字辻小山別邸内に居を移し、新妻文、伯母、女中を迎え新婚生活に入りま…
彼は門を通る人ではなかつた。また門を通らないで済む人でもなかつた。(二十一の二) 夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)の小説「門」(明治43.3.1~6.12 『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』)の舞台となったことで知られる北鎌倉の円覚寺。 (総門) 親…
鎌倉・長谷の「旧加賀谷邸」が、長期の修復工事を経てようやくオープンしました。 工事中、外側から養生で囲まれたお屋敷を見て、まだかまだかと心待ちにしていた「加賀谷邸」。それも「カフェになったりしたらいいなぁ。」なんて思っていたら、なんと本当に…
亀戸天神の隣に、鬱蒼とした樹々に覆われた「普門寺」というお寺があります。 伊藤左千夫(元治1.8.18(陰暦)~大正2.7.30 歌人・小説家・酪農家)のお墓のあるお寺です。 「民さんは野菊のような人だ。」 山口百恵や松田聖子主演の映画でもよく知られた小説「野…
太田道灌(永享4~文明18.7.26 室町時代の武将)が、江戸築城のさい城内鎮護の祈願所として開いた墨田区太平にある「法恩寺」。 その塔頭である「法泉院」には、芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の田端の家にあったという「灯籠」があります。 芥川龍…
芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)最終章は、「方丈記」と題して「僕」「妻」「父」「母」「伯母」の会話形式で綴られていきます。 僕「けふ本所へ行つて来ましたよ。」 父「本所もすつかり変つ…
僕等は「天神様」の外へ出た後、「船橋屋」の葛餅を食ふ相談をした。(「天神様」) masapn2.hatenablog.jp 芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)の「僕等」一行は亀戸天神に詣った後、参道出てすぐ側…
芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)、「萩寺」を出た一行は亀戸天神へ向かいます。 masapn2.hatenablog.jp 亀戸天神は言わずと知れた、学問の神様菅原道真公(承和12.6.25~延喜3.2.25 平安貴族・学…
芥川龍之介が幼少期の回想を交えながら綴ったルポタージュ「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)は、両国停車場・両国橋からスタートし、その後「一銭蒸気」と呼ばれた小型の遊覧船に乗り、隅田川を遡上していきます。 現在の両国橋下 隅田川を…
隅田川河畔両国橋のやや北寄りに、江戸から明治にかけて何本もの杭が打たれていたところがあります。 「百本杭」。 水量の多い隅田川。両国橋辺りは川の湾曲が強く特に水勢が強い所であるため、それを和らげるための杭が、この辺りに何本も打たれていたのだ…
神田淡路町にある洋食屋「松栄亭」。 夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)が食したという「洋風かきあげ」がいただける、明治40年創業の老舗洋食屋さんです。 漱石が、東京帝国大学で教鞭を取っていたフォン・ケーベル邸を、訪れていたときのこと。…
両国の鉄橋は震災前と変らないといつても差支ない。たゞ鉄の欄干の一部はみすぼらしい木造に変つてゐた。この鉄橋の出来たのはまだ僕の小学時代である。しかし櫛形の鉄橋には懐古の情も起つて来ない。僕は昔の両国橋にーー狭い木造の両国橋にいまだに愛惜を…
両国高校は、明治34年に東京府立第一中学校(現・日比谷高校)の分校として開校した学校です。当時は府立第三中学校といい、明治38年から43年まで芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)が在籍していた学校としても知られています。三中時代の芥川は、英語…
以前、近所のショッピングモールで開催されていた「ご当地パンフェスタ」で見つけていた『走れメロス』パン。 masapn2.hatenablog.jp 今回は、前回売り切れで購入できなかった『人間失格』パンをGETすることができましたw。 太宰治(明治42.6.19~昭和23.6.13 …
上野仲町通りにある「蓮玉庵」。 安政6年創業の老舗のお蕎麦屋さんです。 このお店は、森鴎外(文久2.1.19(陰暦)~大正11.7.9 小説家・医師)の小説「雁」(明治44. 9~大正2.5『スバル』)に「その頃名高かった蕎麦屋」として登場します。 (森鷗外) このお蕎麦屋…
芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)や谷崎潤一郎(明治19.7.24~昭和46.7.30 小説家)の眠る慈眼寺の前には、大きな都営の墓地「染井霊園」が広がっています。 masapn2.hatenablog.jp 染井霊園は、明治7年に開設されてた公営墓地。同時期に作られた雑司…
JR山手線の巣鴨~駒込間にある「染井霊園」の先に、「慈眼寺」という日蓮宗のお寺があります。どちらかというと、おばあちゃんの原宿でお馴染みの巣鴨から行った方が近いのですが、あえて駒込で下車。というのも、慈眼寺には芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.2…
「幻の門ここすぎて叡智の丘に我等立つ」(堀口大學作詞・山田耕筰作曲『幻の門』)と歌われたのは、慶応義塾大学三田キャンパス東館奥にあるこの門。 旧島原藩中屋敷跡地に建つ慶応義塾大学三田キャンパスは、大正2年に中屋敷時代からあった木造の門を改造し…