文学のお散歩

東京近郊・近代文学を中心に作家・作品ゆかりの地をご紹介します。

カフヱーパウリスタ

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銀座に現存する最古の喫茶店「カフヱーパウリスタ」。

       

明治44年に、南鍋町(現在の銀座6丁目)にオープンしました。

創業者は水野龍。ブラジル移民を仲介する、皇国殖民合資会社の社長でした。

水野は、ブラジルへの日本人移送の見返り、及びブラジルコーヒーの宣伝普及のため、

サンパウロ州からコーヒー豆の無償提供を受け、大隈重信の協力もあって、パウリスタを開業。(ちなみに日本初の喫茶店は、明治21年黒門町(現在の上野1~3丁目辺り)にできた「可否茶館」。また明治44年には、同じく銀座に「カフェー・プランタン」や「カフェー・ライオン」も開業しています。)

         

サンパウロっ子」という意味を持つ「パウリスタ」。

「鬼の如く黒く、恋の如く甘く、地獄の如く熱き」というキャッチフレーズで宣伝されたパウリスタのコーヒーは、たちまち流行の最先端に。

開業当初の店舗は、白亜3階建て南米風の洋館で、外観をイルミネーションで飾った、たいへん斬新な建物でした。

給仕たちは、地方出身の少年たちでしたが、海軍士官の正装を模したユニフォームを着て、よく教育された流暢な英語でオーダーを取り、いかにもハイカラな風。

大正の中頃には、アメリカ製の自動ピアノも持ち込まれ、店内には西洋の音楽と煙草の煙、そしてコーヒーの芳香がとけあい、新しい文化の香りとして、人々を魅了していきました。

立地的にもここは、日本初の西洋式公園である日比谷公園や帝国ホテルから、銀座通りに続く地。朝日、読売、国民、万朝報、時事新報社などの新聞各社が軒を並べる、東京を代表する文化街。文士や芸術家の出入りも多く、パウリスタはたちまち、知識人・芸術家サロンとしても、機能していくようになります。

 

珈琲の香にむせびたる夕より夢見るひととなりにけらしな

       (吉井勇「酒ほがい」吉井勇自選『吉井勇歌集』1952.7.25 岩波書店)

 

常連客には、吉井勇をはじめ、水上滝太郎徳田秋声正宗白鳥、広津和朗、久米正雄宇野浩二芥川龍之介久保田万太郎小島政二郎佐藤春夫菊池寛などなど、小説家や詩人、歌人など当代きっての文士が勢揃い。

コーヒーの香りとともに、文化の香りも芳醇に店内を満たしていきました。

     

芥川龍之介の小説「彼 第二」(昭和2.1.1『新潮』)の二には、

 

「僕等は金の工面をしてはカッフェやお茶屋へ出入りした。彼は僕よりも三割がた雄の特性を具えてゐた。或粉雪の激しい夜、僕等はカッフェ・パウリスタの隅のテエブルに座つてゐた。その頃のカッフェ・パウリスタは中央にグラノフォンが一台あり、白銅を一つ入れさへすれば音楽の聞かれる設備になってゐた。その夜もグラノフォンは僕等の話に殆ど伴奏を断つたことはなかつた。」(芥川龍之介芥川龍之介全集 第十四巻』1996.12.9 岩波書店)

 

という記述も。

https://www.ndl.go.jp/portrait/img/portrait/0224_1.jpg

芥川龍之介( 明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)

 

また慶應義塾社中の多く集う交詢社が向かいにあったことから、慶應義塾の塾生も多くパウリスタを訪れました。

小説家で、慶應義塾大学の教授も務めた小島政二郎は、

 

「私が慶応の学生になった頃、銀座にパウリスタと云うカフェが出来た。コーヒーが一杯五銭で、ドーナツ、フレンチトーストなどの食べ物もあり、三田の学生は放課後塾から芝公園を抜けて、日陰町を通って毎日のように銀座へ出た。

パウリスタは、コーヒー一杯で一時間でも二時間でも粘っていても、いやな顔をしなかった。丁度時事新報社の真ン前だったから、徳田秋声正宗白鳥なども、原稿を届けに来たついでに寄って行ったりした。

私達文学青年にとって、そういう大家の顔を見たり、対話のこぼれ話を聞いたりすることが、無上の楽しみだった」(「創業百十年 カフヱーパウリスタ物語」パンフレットより)

 

と回想しています。

https://www.ndl.go.jp/portrait/img/portrait/6065_1.jpg

徳田秋声 (明治4.12.23~昭和18.11.18 小説家)

                    https://www.ndl.go.jp/portrait/img/portrait/0330_1.jpg

                         正宗白鳥(明治12.3.3~昭和37.10.28 小説家)

遠い異国の芳醇なコーヒーの香りと、食べ物、音楽に酔いしれながら、新しい時代の文化を語り合うカフェ文化が、華やかに銀座パウリスタを中心として展開されていったのです。(ただ、文化とひきかえに、その後ろに移民たちのたいへんな苦労があったことは、忘れてはならないこと。ブラジル移民たちの労働は、奴隷労働のように厳しく、また移民政策は政府による棄民であったのではなかったか・・・という指摘もあるそうです。)

 

こうして、新しい文化流行の発信地として、最盛期は東京だけでなく、全国にまで支店を展開していったパウリスタでしたが、大正12年関東大震災で全壊。ブラジル政府からのコーヒー豆の無償提供も終了したことから、事業を縮小していくことになります。

戦時中は敵性語が禁止されたため、社名を「日東珈琲株式会社」と変えることにもなりました。

 

銀座8丁目にある現在の店舗は、戦後の昭和45年に再オープンしたものです。

コーヒーカップやスプーンなどは、往時のデザインを復元したもの。

      

      

やや深めに焙煎されたコーヒー「パウリスタオールド」は、明治44年から変わらぬ味を守っており、文士たちが酔いしれたそのままのコーヒーを味わうことができます。

      

ザッハトルテなどのスイーツも人気です。

      

他にも農薬を使わずに栽培した「森のコーヒー」や、パウリスタのコーヒーを使ったモカバタークリームの入った「オペラ」というケーキなども人気です。

現在も、銀座中心地の喧騒から少し離れてゆっくりくつろげる、落ち着いた老舗カフェとして親しまれています。

      

2階席からの眺めもステキ。

      

              

オンラインショップはコチラ↓

www.paulista.co.jp

 

 

カフヱーパウリスタ

東京都中央区銀座8丁目9-16長崎センタービル1F

☎0335726160

https://www.paulista.co.jp/

年中無休(年末年始除く)

1階 9:00~20:00(月~土) 11:30~19:00(日・祝)

2階 12:00~19:00(月~土) 12:30~19:00(日・祝)

 

参考文献

吉井勇自選『吉井勇歌集』1952.7.25 岩波書店

芥川龍之介芥川龍之介全集 第十四巻』1996.12.9 岩波書店

「創業百十年 カフヱーパウリスタ物語」店頭配布パンフレット

長谷川泰三『日本で最初の喫茶店「ブラジル移民の父」がはじめた―カフエーパウリスタ物語』

2008.11 文園社

高井尚之『日本カフェ興亡記』2009.5 日本経済新聞出版社

 

 

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