東京メトロ千代田線千駄木駅を出ると、すぐ西に上がる坂が「団子坂」。
名前の由来は、昔、坂の下に団子屋があったからとか、急な坂なので雨降りのとき、転ぶと泥団子のようになるから等々、いわれのある坂道です。
他にも「潮見坂」「千駄木坂」「七面坂」という異名もあります。
団子坂はこれまで、数多くの文学作品の舞台となってきました。
有名どころでは、江戸川乱歩(明治27.10.21~昭和40.7.28 小説家)の「D坂の殺人事件」(大正14.1 『新青年』)。
「D坂」とはもちろん団子坂のこと。D坂の古本屋で起きた密室殺人事件を、素人探偵明智小五郎が解き明かす推理小説です。乱歩が生み出した名探偵明智小五郎は、この「D坂の殺人事件」が初登場作。乱歩自身も実際、団子坂で「三人書房」という古本屋を営んでいたことがありました。
D坂の殺人事件(1) | ||||
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団子坂上にあった「観潮楼」(現在は森鷗外記念館)に住んでいた森鷗外(文久2.1.19(陰暦)~大正11.7.9 小説家・医師)の小説「青年」(明治43.3~8 『スバル』)にも、主人公小泉純一が上り下りする数々の坂道の中に、団子坂がでてきます。
四辻を右へ坂を降りると右も左も菊細工の小屋である。国の芝居の木戸番のように、高台の上に胡坐をかいた、人買か巾着切りのような男が、どの小屋の前にもいて、手に手に絵番附のようなものを持っているのを、往来の人に押し附けるようにして、うるさく見物を勧める。まだ朝早いので、通る人が少い処へ、純一が通りかかったのだから、道の両側から純一一人を的にして勧めるのである。外から見えるようにしてある人形を見ようと思っても、純一は足を留めて見ることが出来ない。そこで覚えず足を早めて通り抜けて、右手の広い町へ曲がった。 (壱)
青年 | ||||
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純一が誘われる「菊細工の小屋」とは、団子坂で盛んだった菊人形の興行のことです。
菊人形とは、等身大の人形の着物の部分を、菊の花や葉で飾り付けたもの。有名な歌舞伎の名場面などを題材にし、人形の顔も、当時の人気役者の顔に似せて作られたのだそうです。江戸から明治にかけて、団子坂の菊人形の興行はとても盛んに行われ、秋の風物詩として大変な人気を博しました。
二葉亭四迷(元治1.2.28(陰暦)~明治42.5.10 小説家・翻訳家)の『浮雲 第二編』にも、「第七回 団子坂の観菊 上」「第八回 団子坂の観菊 下」(第一編 明治20.6.20 第二編 明治21.2.13 金港堂 第三編 明治23.7~8 『都の花』)に、団子坂の菊見に出かける様子が見られます。
浮雲 | ||||
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他にも有名なところでは、夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)の「三四郎」(明治41.9.1~12.29 『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』)に、団子坂の菊見に、三四郎、広田先生、野々宮兄妹、里見美禰子らが、揃って出かける場面が描かれています。
坂の上から見ると、坂は曲がつてゐる。刀の切先の様である。幅は無論狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分遮つてゐる。其後には又高い幟が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込む様に思はれる。其落ち込むものが、這い上がるものと入り乱れて、路一杯に塞がつてゐるから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見てゐると眼が疲れるほど不規則に蠢いてゐる。広田先生は此坂の上に立つて、
「是は大変だ」と、さも帰りたさうである。四人はあとから先生を押す様にして、谷へ這入つた。其谷が途中からだらだらと向へ廻り込む所に、右にも左にも大きな葦簀掛の小屋を、狭い両側から高く構へたので、空さへ存外窮屈に見える。往来は暗くなる迄込み合つてゐる。其中で木戸番が出来る丈大きな声を出す。「人間から出る声ぢやない。菊人形から出る声だ」と広田先生が評した。それ程彼等の声は尋常を離れてゐる。(五の六)
菊人形の見物人でごった返した団子坂。空さえ窮屈に見えるほど込み合った雑踏のなか、美禰子は気分が悪くなり、介抱する三四郎は、連れと離れて美禰子と二人だけの時間を持つことになります。
そうして帰り際に美禰子は、
「迷へる子(ストレイ、シープ)」
という謎めいた言葉を投げ、この言葉がそれからずっと三四郎の頭から離れなくなり、「迷羊。迷羊。(ストレイシープ ストレイシープ)」と作中に通底する言葉となっていくという具合に、とても印象深い場面に、団子坂の菊見が使われています。
三四郎改版 | ||||
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現在、団子坂での菊人形の興行はもうありませんが、菊人形での賑わいの名残を感じられるものとして、団子坂下交差点先の「菊見せんべい総本店」が残っています。
創業は明治8年。
菊見客の手土産として販売開始された、おせんべいのお店です。
漱石や鴎外なども、ここのおせんべいを味わったのでしょうか。
団子坂近くに住んでいた高村光太郎(明治16.3.18~昭和31.4.2 彫刻家・画家・詩人)は、団子坂を下って上野の美術学校(現・東京藝術大学)に通っていたころ、菊見せんべいの娘さんに恋をして、毎日せんべいを買いにいっていたという逸話も残っています。
店頭で1枚からでも買えるおせんべいは、谷根千散策のお供にもうってつけです。
菊見せんべい以外にも、古道具屋や古本屋などなど多くの店々で賑わった団子坂。
芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)は、書斎で愛用の硯屏(硯にゴミが入らないようにするための衝立のようなもの)について「身のまはり」(大正15.1.3 『サンデー毎日』)という随筆で、
僕の青磁の硯屏は団子坂の骨董屋で買つたものである。尤も進んで買つた訳ではない。僕はいつかこの硯屏のことを「野人生計の事」といふ随筆の中に書いておいた。それをちょつと摘録すればーー
或日又遊びに来た室生は、僕の顔を見るが早いか、団子坂の或骨董屋に青磁の硯屏の出てゐることを話した。
「売らずに置けといつて置いたからね、二三日中にとつて来なさい。もし出かける暇がなけりや、使いでも何でもやりなさい。」
宛然僕にその硯屏を買ふ義務でもありさうな口吻である。しかし御意通りに買つたことを未だに後悔してゐないのは室生のためにも僕のためにも兎に角欣懐といふ外はない。
この文中に室生といふのはもちろん室生犀星君である。硯屏はたしか十五円だつた。(二 硯屏)
と書いています。
机向かって左端(芥川の手の先辺り)に立ててある四角い陶器のようなものが硯屏です。↑
文士が行き交い、日々を暮らし、しばしば作中の舞台となった団子坂。
文学に縁の深い坂道ですが、残念ながら往時の面影は、今はもうほぼありません。
菊見せんべい総本店
東京都文京区千駄木3-37-16
☎0338211215
営業時間 10:00~19:00
定休日 月曜日
参考文献
『普請中 青年 森鷗外全集2』森鷗外 1995.7.24 筑摩書房
『漱石全集 第五巻』夏目金之助 1994.4.11 岩波書店
『芥川龍之介全集 第十三巻』芥川龍之介 1996.11.8 岩波書店
『東京の文学風景を歩く』大島和雄 1988.4.25 風濤社
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