日本医科大学付属病院と東大弥生キャンパスの間に位置する「根津神社」。
日本武尊が創祀したという古い伝承を持つこの神社は、朱塗りの社殿に唐門、透塀など、権現造りといわれる江戸時代の遺構が良く保存された神社で、文学作品にも良く登場します。
宝永3年、五代将軍徳川綱吉が、綱豊に世継ぎしたときに造営された社殿は、7棟の建物が、重要文化財に指定されています。また、境内の斜面に植えられた、約2千本のつつじが咲き誇る5月のつつじまつりや、乙女稲荷神社の奉納鳥居のトンネルなども有名です。
楼門の脇には、近くに住んでいた森鷗外(文久2.1.19(陰暦)~大正11.7.9)や夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9)が、腰かけて作の構想を練った⁈といわれる「文豪憩いの石」も。
いわれなければ気づかないほど、ひっそりと佇んでいます。
根津神社は、裏表の門が坂道に挟まれており、裏門側はその名の通り「根津裏門坂」。
この坂を上りきると、鴎外や漱石の住んだ「猫の家」にたどり着きます。
(夏目漱石)
表門の前は「新坂」。
本郷通りから、根津谷へ向かうために新たに作られた坂なので「新坂」と名付けられたそうです。また、根津権現の表門に面する坂なので「権現坂」とも、また「S坂」とも呼ばれています。
「S坂」というのは、鴎外の小説「青年」(明治43.3~8 『スバル』)壱から、
坂の上に出た。地図では知れないが、割合に幅の広いこの坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲して附いている。
と地方から上京したての主人公小泉純一が、『東京方眼図』片手に歩き回る道として登場します。
坂を降りて左側の鳥居を這入る。花崗岩を敷いてある道を根津神社の方へ行く。下駄の磬のように鳴るのが、好い心地である。剥げた木像の随身門から内を、古風な瑞籬で囲んである。
純一は根津神社の境内を抜け、薮下通りを入って「毛利鴎村の家」という鴎外自身をモデルにした人物の家(潮観楼)から、団子坂を下っていきます。
鴎外の「青年」を読んだ、当時新坂に隣接する所にあった第一高等学校(現:東大弥生キャンパス)の生徒たちは、好んでこの坂をS坂と呼んだそうです。
「S坂」という呼び名は、いわば鴎外が名付け親といえそうです。
(森鷗外)
東京都文京区根津1-29-9
☎0338220753
参考文献
『普請中 青年 森鷗外全集2』森鷗外 1995.7.24 筑摩書房
『東京の文学風景を歩く』大島和雄 1988.4.25 風濤社
『漱石と歩く、明治の東京』広岡祐 2012.4.20 祥伝社
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