千駄木の団子坂を上りきると、左手に「森鷗外記念館」(旧・鴎外記念本郷図書館)があります。
森鷗外(文久2.1.19(陰暦)~大正11.7.9 小説家・医師)が、明治25年から大正11年に亡くなるまで、30年に渡って居住した「観潮楼」跡地です。
「観潮楼」とは、潮を観る楼(建物)。
昔はここ千駄木から、品川沖を臨むことができたそうです。
確かに団子坂を上り切った高台。団子坂にも汐見坂という別名がありますが、遮る物がなければ、ここから海が見えるのでしょう。
現在は遮る物だらけで、残念ながら海は見えません。
藪下通り側の入り口には、「観潮楼址」のプレートが。
津和野藩(現・島根県鹿足群津和野)典医の家の長男として生まれた鴎外は、明治5年、廃藩置県などを機に父と上京。墨田区東向島に転居します。その後数回の転居や、ドイツ留学などをへて、この観潮楼に居を構えました。
ここで鴎外は、「青年」(明治43.3~8 『スバル』)「雁」(明治44.9~大正2.5 『スバル』)「高瀬舟」(大正5.1 『中央公論』)等々、数多くの名作を書いていきました。
文学での業績もさることながら、鴎外は医者としても、陸軍軍医総監・陸軍省医務局長という最高位を務めましたが、観潮楼での暮らしは、子どもたちから「パッパ」と慕われる良いお父さんだったようです。
一方、同居する母と、二番目の妻志げ、先妻の子で長男の於兎との関係の悪さに、苦労も絶えなかったとか・・・。
庭園には、鴎外生前からある大銀杏や、鴎外が好んだ草花が植えられています。
永井荷風(明治12.12.3~昭和34.4.30 小説家)の手による「沙羅の木」の詩碑。
「三人冗語」の石も。
「三人冗語」とは、明治29年に創刊した『めさまし草』に、鴎外が幸田露伴(慶応3.7
23(陰暦)~22.7.30 小説家)、斎藤緑雨(慶応3.12.30(陰暦)~37.4.13 小説家・評論家)の三人で合評形式で連載した文芸批評のことで、この石の前で三人揃って撮影した写真があることから、この石が「三人冗語」の石と呼ばれています。
観潮楼には、鴎外を慕ってたくさんの文士が訪れ、文化人サロンの様相も呈していました。佐々木信綱(明治5.6.30~昭和38.12.2 歌人・国文学者)、与謝野鉄幹(明治6.2.26~昭和10.3.26 歌人)、伊藤左千夫(元治元.8.18(陰暦)~大正2.7.30 歌人・小説家)、石川啄木(明治19.2.20~45.4.13 歌人)らとともに、毎月観潮楼歌会も開かれ、歌壇派閥を超えた交流が生まれることになりました。
鷗外記念館では、鴎外の原稿・書簡・遺品などの資料のほか、鴎外生前発行の貴重書、鴎外研究資料、その他文京区ゆかりの文学作品や文士に関する資料を蒐集、保管、展示しています。展示物の中には、鴎外のデスマスクも!
様々な企画展示も行われ、多角的に鴎外の人となり、作品について、考察できるようになっています。
展示室を見たあとは、ひと休みできるカフェスペース「モリキネ カフェ」も併設。
鴎外の自筆写本『膳部之事』を敷紙に。
鴎外の本名林太郎にちなんだ「リンタロールケーキ」をいただきました。
中には、鴎外の好きだった青桃、煮りんご、杏が、カスタードクリームとともに包まれています。(リンタロールの提供は7/9までの限定です。)
森鷗外記念館
東京都文京区千駄木1-23-4
☎0338245511
開館時間 10:00~18:00
休館日 第4火曜日(祝日の場合は開館し翌日休館)
年末年始
展示替期間、燻蒸期間等
観覧料 通常展 一般300円 中学生以下無料
特別展 企画により異なります。
参考文献
『新潮日本文学アルバム1 森鷗外』1985.2 新潮社
『鴎外 闘う家長』山崎正和 1972.11.30 河出書房新社
『東京の文学風景を歩く』大島和雄 1988.4.25 風濤社
『文豪東京文学案内』小堀洋平・田部知季・吉野泰平 2022.4.39 笠間書院
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