文学のお散歩

東京近郊・近代文学を中心に作家・作品ゆかりの地をご紹介します。

芥川龍之介旧居跡~田端その3

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大正3年10月末、芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)一家が、北豊島郡滝野川町字田端435番地(現田端1丁目19-18)に家を新築し、引っ越してきました。

https://www.ndl.go.jp/portrait/img/portrait/0224_5.jpg(一高時代の芥川龍之介)

芥川の家は、もとは本所両国にありましたが、明治43年の夏、本所界隈は大雨に見舞われ、約3000戸が浸水。芥川家もあと1㎝位で、水が床につくところまでくるという被害にあいました。これを機に、芥川家は水の多い本所から、高台の田端へ転居することになります。

芥川が、この地に越してきたのは22歳のとき。それから35歳で亡くなるまで(一時的に鎌倉・横須賀)に住んでいたことはありますが)、ここ田端の家が終の棲家となりました。

     

22歳といえば、まだ芥川は帝大生。越してきた頃はちょうど、英吉利文学科の2年生に進級したばかりの頃で、菊池寛(明治21.12.26~昭和23.3.6 小説家・劇作家)久米正雄(明治24.11.23~昭和27.3.1 小説家)らと創刊した第三次『新思潮』(大正3.2.12~9.1)が終わり、次の第四次『新思潮』(大正5.2.15~6.3.15)へと移っていく時期でした。

越してきた翌年、大正4年4月には『帝国文学』に小説「ひょっとこ」を発表。

11月には、あの「羅生門(大正4.11.1 『帝国文学』)を、翌年2月には「鼻」(大正5.2.15 『新思潮』)を発表します。「鼻」は師・夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)に注目され、

 

「拝啓新思潮のあなたのものと久米君のものと成瀬君のものを読んで見ましたあなたのものは大変面白いと思ひます落着きがあつて巫山戯てゐなくつて自然其儘の可笑味がおつとり出てゐる所に上品な趣があります夫から材料が非常に新しいのが眼につきます文章が要領を得て能く整つてゐます敬服しました、あゝいふものを是からニ三十並べて御覧なさい文壇で類のない作家になれます然し「鼻」丈では恐らく多数の人の眼に触れないでせう触れてもみんなが黙過するでせうそんな事に頓着しないでずんずん御進みなさい群衆は眼中に置かない方が身体の薬です」 (夏目金之助 大正5.2.19 芥川龍之介宛書簡)

 

と絶賛されます。

この頃の芥川は、まだ小説家を本業にしようとまでは思っていなかったようですが、漱石が激賞したという評判が広まると、翌年には『新小説』『新潮』『中央公論』など、有名誌に次々と小説を発表していくことになり、さらに翌年には『羅生門(大正6.5.3 阿蘭陀書房)、『煙草と悪魔』(大正6.11.10 新潮社)と作品集も二つ出て、たちまち売れっ子作家となっていきました。田端に越してくるや才能をぐんぐん発揮し、まさに田端の登り龍といった勢いだったといえましょう。

                 https://www.ndl.go.jp/portrait/img/portrait/0307_3.jpg(夏目漱石)

帝大を卒業した芥川は、横須賀の海軍機関学校で英語教師を務めることになり、その間2年4カ月田端を離れていましたが、大正8年に教職を辞し田端に戻ってきます。

この頃から、田端の芥川の書斎には「我鬼窟」の扁額が掲げられ、面会日の日曜日には、芥川を慕って多くの友人文士や芸術家、編集者などが田端の「我鬼窟」を訪れるようになっていきます(「我鬼窟」はのち「澄江堂」と改名)。

室生犀星(明治22.8.1~昭和37.3.26 詩人・小説家)菊池寛堀辰雄(明治37.12.28~昭和28.5.28 小説家)萩原朔太郎(明治19.11.1~昭和17.5.11 詩人)など、芥川に近しい人々も続々と田端に転入し、それまでも多くの芸術家が住み、芸術家村の様相を呈していた田端でしたが、芥川を中心に文士村としても栄えていくことになっていきました。

https://www.ndl.go.jp/portrait/img/portrait/0224_10.jpg(芥川龍之介 我鬼窟にて)

芥川の田端の家は、龍之介の没後戦災で焼失。現在はワンルームマンションが建っています。

     

その隣の空き地(芥川家の敷地の一部だったところ)には、「芥川龍之介記念館」が建つという建設予定地が。

     

芥川龍之介記念館」は、平成30年から建設が計画され、この用地も取得されたようですが、現在工事の始まる様子はまだみえません。

北区の芥川龍之介記念館検討委員会によると、二階建で復元書斎やカフェスペース、憩いの庭もある、素敵な記念館が計画されているようです。本来なら令和4年に開館予定だったそうですが、着工とコロナ禍が重なってしまったからでしょうか、用地はまだ草ぼーぼーのご覧の有様。いつになったら出来るのだろうと、建設開始・完成が心待ちにされます。

               

まさかここの土地をことをいっているのではないと思いますが、こんな張り紙も・・・。まさかね・・・いえいえ、早期の竣工を期待します。

 

 

参考文献

漱石全集 第二十四巻』夏目金之助 1997.2.21 岩波書店

『新潮日本文学アルバム13 芥川龍之介』1983.10.20 新潮社

芥川龍之介の顔』松本哉 1988.2.15 三省堂

『年表作家読本 芥川龍之介』鷺只雄 1992.6.30 河出書房新社

 

 

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また肖像画像は、国立国会図書館電子展示会「近代日本人の肖像」https://www.ndl.go.jp/portrait/より転載しています。