彼は門を通る人ではなかつた。また門を通らないで済む人でもなかつた。(二十一の二)
夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)の小説「門」(明治43.3.1~6.12 『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』)の舞台となったことで知られる北鎌倉の円覚寺。
(総門)
親友安井の内縁の妻を奪った主人公宗助が、安井との再会を恐れて参禅した円覚寺。
実は作者の夏目漱石も、明治27~28年にかけて円覚寺に参禅しています。「門」の舞台設定は、その時の経験が大きく反映されています。
(山門)
山門を入ると、左右には大きな杉があつて、高く空を遮つてゐるために、路が急に暗くなつた。其陰気な空気に触れた時、宗助は世の中と寺との区別を急に覚つた。(十八の二)
宗助に聖俗の境界を強く意識させた山門です。
(夏目漱石)
(帰源院に続く苔むした道)
「門」の宗助が止宿した「一窓庵」は「帰源院」がモデルになっています。
(帰源院)
一窓庵は山門を這入るや否やすぐ右手の方の高い石段の上にあつた。丘外れなので、日当の好い、からりとした玄関先を控えて、後の山の懐に暖まつてゐる様な位置に冬を凌ぐ気色に見えた。(十八の二)
「帰源院」で漱石は釈宗演(安政6~大正8.11.1 僧侶)に参禅。
宗助は「一窓庵」から、釈宜道という若い僧侶に案内され老師の元へ。
(妙香池)
二人は蓮池の前を通り越して、五六級の石段を上つて、其正面にある大きな伽藍の屋根を仰いだまゝ直左へ切れた。(十八の四)
「蓮池」とは円覚寺「大方丈」の先にある「妙香池」のこと。(現在蓮はありません。)
「妙香池」を過ぎ左へ進むと「正続院」。
(正続院)
「門」ではここに、宗助の参禅した老師が住んでいるという設定になっています。
宗助はここで老師から、
「父母未生以前本来の面目は何だか、それを一つ考えて見たら善からう。」
と公案を出題されました。
「正続院」の奥には国宝の「舎利殿」があります。
「正続院」へ向かう途中、宗助が仰ぎ見たという大伽藍は、おそらくその隣の「佛日庵」の屋根でしょう。
(開基廟)
「佛日庵」のある「開基廟」は、北条時宗(建長3.5.15~弘安7.4.4 鎌倉幕府第8代執権)の廟所です。
時宗は蒙古襲来のとき、ここで禅の修行に励んだのだそうです。
(佛日庵)
「佛日庵」には「烟足軒」という茶室があり、ここは川端康成(明治32,6,14~昭和47.4.16 小説家)の『千羽鶴』(昭和27.2.10 筑摩書房)の冒頭場面の舞台となっています。主人公菊治が、千羽鶴の風呂敷の印象的な令嬢ゆき子に初めて会い、また太田婦人とも会うことになった茶室です。
こちらではお庭で、お抹茶をいただくことができます。
「千羽鶴」の茶会に思いを馳せながら一服。でもこの日はあんまり暑かったので氷入りの冷抹茶を。お干菓子は鎌倉らしく「豊島屋」の「小鳩落雁」です。
「烟足軒」は、立原正秋(大正15.1.6~昭和55.8.12 小説家)の「やぶつばき」(昭和57 新潮文庫)にも登場する茶室です。
大佛次郎(明治30.10.9~昭和48.4.30 小説家)の夫人が寄贈したという枝垂桜も。
他にも円覚寺には「松嶺院」に、有島武郎(明治11.3.4~大正12.6.9 小説家)が止宿し「或る女」(大正8 叢文閣)を執筆しており、漱石以外にも多くの文士たちに縁があります。
(松嶺院)
漱石に「帰源院」を紹介した友人菅虎雄(元治1.10.18~昭和18.11.13 ドイツ文学者・書家)は、漱石の亡くなったあと、二人の弟子にあたる芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)を連れて、漱石のために「帰源院」を訪れています。
(開基廟の「しあわせ観音」)
門 | ||||
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千羽鶴 | ||||
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やぶつばき | ||||
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或る女 | ||||
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参考文献
『芥川龍之介全集 第十八巻』芥川龍之介 1997.4.8 岩波書店
神奈川県鎌倉市山ノ内409
☎0467220478
拝観時間 3~11月 8:30~16:30
12~2月 8:30~16:00
拝観料 大人500円 小人200円(小・中学生)
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