横須賀で海軍機関学校の英語教官をしていた芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)は、大正7年2月に塚本文(明治33.7.6~昭和43.9.11)と結婚。翌3月、下宿先の横須賀から鎌倉町大町字辻小山別邸内に居を移し、新妻文、伯母、女中を迎え新婚生活に入りました。
(芥川龍之介)
小山別邸は元鶴岡八幡宮の近く。
由比若宮とも呼ばれる元八幡は、鎌倉の代名詞といえるあの鶴岡八幡宮が最初に鎮座されたところ、鶴岡八幡宮の元となったところです。
鎌倉駅から徒歩15分ほど、バスだと「元八幡」下車1分。横須賀線の線路沿い材木座1丁目辺りになります。
現在の大きな鶴岡八幡宮と比べると、小さくてとても可愛らしいお宮様です。
この元八幡の前の道を右に、
石清水の井戸を左に見ながら進み、
横須賀線の踏切手前の駐車場の奥に
あるアパートのところに、
誰が書いたか知らないけれど、この看板があります。
芥川ファンの間では有名な「間違い看板」。
場所はほぼここであっているのだと思いますが・・・なぜか奥さんの文さんの苗字が「平塚」!・・・何で「平塚」⁇⁇
東京から西に向かい、湘南に入り平塚が近くなって来たからかww
いやいや、この場所を特定するだけでもかなりマニアックなのに、何で名前を間違うの?っていう謎な看板です。
看板は謎ですが、この地で送った芥川の新婚生活は、なかなか風流なよい暮らしだったようです。エッセイ「身のまはり」(大正15.1.3 『サンデー毎日』)には、
僕は当時鎌倉の辻といふ処に住んでゐた。借家は或実業家の別荘の中に建つてゐたから、芭蕉が軒を遮つたり、広い池が見渡せたり、存外心地のよい住居だつた。八畳二間、四畳半二間、それに湯殿や台所があつても、家賃は十八円を超えたことはなかつた。(四 火鉢)
と記されています。
この土地に芥川夫妻は翌大正8年の4月28日まで暮らし、芥川はここで「地獄変」(大正7.5.1~22 『大阪毎日新聞(夕刊)』大正7.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)や「奉教人の死」(大正7.9.1『三田文学』)、初めての童話「蜘蛛の糸」(大正7.7.1『赤い鳥』)など、数々の名作を書いていきました。
新妻と心地よい住まい。まさに公私ともに充実した日々を送っていたようです。
参考文献
『芥川龍之介全集 第十三巻』芥川龍之介 1996.11.8 岩波書店
『新潮日本文学アルバム13 芥川龍之介』1983.10.20 新潮社
『年表作家読本 芥川龍之介』鷺只雄 1992.6.30 河出書房新社
『毎日グラフ別冊 芥川龍之介 生誕百年、そして今』1992.5.1 毎日新聞社
『芥川龍之介事典』菊地弘・久保田芳太郎・関口安義編 明治書院
由比若宮(元八幡)
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