天平8年創建の、いわずと知れた鎌倉有数の名古刹。
紫陽花寺としても有名で、修学旅行や遠足の子どもから外国人観光客まで、人足の絶えることない人気のお寺です。
そんな多くの参拝客で賑わう長谷寺の、入り口入ってすぐの所に、ほとんど誰も見向きもしない像がぽつんと立っています。
久米正雄(明治24.11.23~昭和27.3.1 小説家)の胸像です。
久米正雄は夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)の門弟で、同門の松岡譲(明治24.9.28~昭和44.7.22 小説家)と漱石の娘筆子をめぐって、三角関係の恋に破れてしまったことでも知られる作家ですが、なぜこんな所に久米正雄の像があるのかというと、今からちょうど100年前、大正12年に起きた関東大震災のとき、久米がちょうどここ鎌倉は長谷に滞在中で、長谷寺に避難しにきていたのだそうです。
その時のことを久米は、「鎌倉震災日記」(『苦虫笑芸術』大正13 新潮社)に記しました。
その後、大正14年からは鎌倉に居を移し、町議を務めるようになります。
(久米正雄)
以後、「海の世界三大行事」「日本の夏の風物詩」とまでいわれるようになった「鎌倉カーニバル」の開催や、鎌倉文士を中心とした「鎌倉ペンクラブ」の結成に尽力。
第二次世界大戦末期の昭和20年には、川端康成(明治32.6.14~昭和47.4.16 小説家)らとともに、貸本屋「鎌倉文庫」を創設。深まりゆく戦争のなか、出版事情が悪化し活字にも飢え、荒廃した人々たちに文士たちが蔵書を提供する貸本屋は、鎌倉の人々の心を明るくしました。このように久米正雄は、鎌倉の文化に大いに貢献した人物であったのです。
胸像は三回忌を記念して、久米が初代会長を務めた「鎌倉ペンクラブ」によって、久米の鎌倉への貢献を記念して建立されたそうです。
長谷寺には他にも、文士にまつわる碑があります。
聖観音像の台座には、高浜虚子(明治7.2.22~昭和34.4.8 俳人)の句が。
永き日の われらが為の 観世音
虚子の知人の愛娘の死を、悼んだ句なのだそうです。
虚子は愛媛県の生まれですが、明治43年から亡くなるまでの50年間を鎌倉で過ごしました。
高山樗牛(明治4.2.28~35.12.24 評論家)は、夏目漱石とともに、美学研究のためイギリスへ留学するはずでしたが、結核が悪化し断念。わずか31歳でこの世を去る最晩年を、長谷寺境内の慈眼院で過ごし、葬儀もここ長谷寺で執り行われたのだそうです。
(高山樗牛)
長谷寺展望台から臨む材木座から由比ヶ浜の景色。ここで暮らした久米や樗牛も、この景色を愛でたのでしょうか。
観光客で賑わう長谷寺の片隅に、文士の気配がひっそりと今も残っています。
神奈川県鎌倉市長谷3-11-2
☎0467226300
拝観時間 通常期間8:00~17:00
延長期間8:00~17:30(4月~6月)
拝観料 大人400円 小人(小学生)200円
ランキングに参加しています。ポチっとしていただけると嬉しいです。
ご覧いただきありがとうございました。