かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな
与謝野晶子(明治11.12.7~昭和17.5.29 歌人)がこう詠んだのは、鎌倉長谷にある高徳院の大仏。
鎌倉といえば、この大仏を真っ先に思い浮かべる人も、きっと多いことでしょう。
今ではすっかり外国人観光客で溢れかえっている高徳院ですが、高徳院にはこの有名すぎる大仏の他に、ひっそりといくつかの文学碑が佇んでいます。
与謝野晶子が詠んだ先の大仏の歌の歌碑は、境内の奥、大仏の左側の廻廊の裏を進んだ先にある、売店や観月堂の奥にあります。
晶子がこの歌を詠んだのは、明治37年に鎌倉を訪れたとき。『恋衣』(山川登美子・増田雅子・与謝野晶子 明治38.1.1 本郷書院)に収録されています。
晶子はこの歌の中で、大仏を「釈迦牟尼」と詠んでいますが、高徳院の大仏は、実は「釈迦牟尼」ではなく「阿弥陀如来」。晶子もこの事実を知り、後に改作もしていますが、高徳院では原作の価値を重んじ、そのままにしてこの歌碑が作られました。碑に彫られた文字も、晶子の筆跡を模して作られているのだそうです。
(与謝野晶子)
晶子の歌は夏の歌ですが、高徳院には他に春、秋、冬の文学碑もあり、文学碑で鎌倉の春夏秋冬が表現されています。
春は、
春の雨 かまくらの名も 和らぎて
飯室謙斉(明治16~3 昭和3 医師・俳人)の句碑。
飯室謙斉は、高浜虚子(明治7.2.22~昭和34.4.8 俳人)の門弟にあたる人物です。
秋は、
寺々の かねのさやけく 鳴りひびき かまくら山に 秋かぜのみつ
金子薫園(明治9.11.30~昭和26.3.30 歌人)の歌碑。
金子薫園は、落合直文(文久1.11.15(陰暦)~明治36.12.16 歌人・国文学者)最初期の弟子で、与謝野鉄幹(明治6.2.26~昭和10.3.26 歌人)とともに和歌革新運動に加わりましたが、のち自然主義文学へ転向していきました。
そして冬は、
大佛の 冬日は 山に移りけり
高浜虚子の次女で、鎌倉に暮らした星野立子(明治36.11.15~昭和59.3.3 俳人)の句碑です。
晶子の歌碑は、案内の看板も出ているのでわかりやすいですが、飯室、薫園、立子の碑はよく注意して探さないと、ちょっと見つけにくいかもしれません。高徳院境内の西側、仁王門入って左側の道に点在しています。
神奈川県鎌倉市長谷4-2-28
☎0467220703
拝観時間 8:00~17:30(4~9月)
8:00~17:00(10~3月)
拝観料 一般・中・高校生300円 小学生150円
大仏胎内拝観50円
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