文学のお散歩

東京近郊・近代文学を中心に作家・作品ゆかりの地をご紹介します。

築地小劇場跡

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東京メトロ日比谷線築地駅を出てほど近い、築地2丁目11番地辺りに「築地小劇場跡」があります。

     

築地小劇場は、今からちょうど100年前の大正13(1924)年に開設された、日本で初めての新劇の常設劇場です。

     

100坪弱の平屋建て、468の客席を持つこの劇場は、ドイツの演出家マックス・ラインハルト(1873.9.9~1943.10.31 俳優・舞台監督・演出家)の小劇場をモデルに作られた、ゴシック・ロマネスク様式の建物で、内装・外装共にグレーで統一された洒落た建物でした。

電気を用いた世界初の照明施設を持ち、高い天井にクッペル・ホリゾントと呼ばれる湾曲壁、可動式舞台を備える、「演劇の実験室」とも呼ばれる非常に斬新な劇場でした。

     

劇場がこのような形になったのは、ドイツで演劇修行をしていた土方与志(明治31.4.16~昭和34.6.4 演出家)の提案によるもの。劇場設立の資金全額を提供したのも土方でした。

土方がこの劇場の建設を着想したのは、関東大震災の復興のため、一時的に建築基準が緩められたことによります。仮設バラック劇場を作ることができると考えた、当時まだ在独中であった土方は急遽帰国し、演劇の師にあたる小山内薫(明治14.7.26~昭和3.12.25 劇作家・演出家)に劇場建設を相談し、開設を実現しました。

https://www.ndl.go.jp/portrait/img/portrait/0250_2.jpg

(小山内薫)

築地小劇場は単なる劇場ではなく、同名の劇団を持つ日本初の劇場でもあり、小山内薫が常から主張していた、俳優の養成にも力をいれていきました。

 

初回公演はラインハルト・ゲーリング(1887.6.23~1936.10 劇作家)の「海戦」、チェーホフ(1860.1.29~1904.7.15 小説家・劇作家)の「白鳥の歌」などで、開設当初から海外演劇の紹介に尽力し、また表現主義など前衛的な戯曲を舞台化する、まさに「演劇の実験室」のような劇場でした。

 

しかし昭和3年の小山内の急逝後、劇団は分裂。プロレタリア演劇の上演により官憲による弾圧も受けるようになり、劇団員が大量検挙されていきます。築地警察署で特高による拷問の末、獄死した小林多喜二(明治36.12.1~昭和8.2.20 小説家・政治活動家)の労農葬が行われたのも、ここ築地小劇場でした。

                    (小林多喜二)https://www.ndl.go.jp/portrait/img/portrait/6232_2.jpg

そして昭和15年3月の東京大空襲で、残念ながら劇場は焼失してしまいまします。

戦後、再建運動も起こりましたが、実ることはありませんでした。

けれども、築地小劇場は数多くの名優を排出し、文学座劇団民藝俳優座、文化座、劇団四季など、戦後展開されていく劇団の多くが、築地小劇場出身の演劇人たちによって作られたもので、築地小劇場の演劇界における貢献は多大なものがありました。

 

     

碑文は里見弴(明治21.7.14~昭和58.1.21 小説家)によるものだそうです。

 

築地小劇場

東京都中央区築地2丁目11番

 

 

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また肖像画像は、国立国会図書館電子展示会「近代日本人の肖像」https://www.ndl.go.jp/portrait/より転載しています。