東京メトロ有楽町線新富町駅からすぐ、築地橋を渡った京橋税務署の角に「新富座跡」があります。
新富座は、江戸三座(中村座・市村座・森田座)のうち、森田座を守田座と改称し、明治5年に12代目守田勘弥が、浅草猿若町から京橋新富町に移設し開場した歌舞伎劇場です。
「新富座」と改称したのは明治8年。
市川団十郎、尾上菊五郎、市川左団次などの名優を集め、積極的な興行をしましたが、明治9年、京橋区数寄屋町から始まった大火で類焼してしまいます。
けれども明治11年には、ガス灯などの設備を備えた近代的歌舞伎劇場として再建。
太政大臣や各国大使を招く、盛大な西洋風落成式が華やかに行われました。
(三代目歌川広重「東京名所之内 第一の劇場新富座」『東京都立図書館デジタルアーカイブ』)
またさらに新富座は、西洋の劇場にならって夜間興行を行ったり、イギリスのエドワード・ブルワー・リットン(1803.5.25~1873.1.18 劇作家・政治家)の戯曲「Money」(1840)を翻案した「人間万事金世中」(河竹黙阿弥 明治12.2)を上演したり、九代目市川団十郎(天保9.10.13(陰暦)~36.9.13 歌舞伎役者)による活歴(演劇改良運動)の中心的な場になるなど、近代歌舞伎の中心的な劇場となっていきます。
劇場の周囲には、歌舞伎関係者も多く居住し、新富町は芝居町としてたいそうな賑わいをみせたのだそうです。
(九代目市川団十郎)
このように、明治21年に歌舞伎座ができるまでは、「新富座時代」ともいわれるほど隆盛を極めた新富座でしたが、大正12年の関東大震災で敢え無く焼失。以後再建されることなく廃座となり、昭和8年には、歌舞伎座・明治座とともに、松竹に吸収合併されていくこととなりました。
新富座跡
東京都中央区新富2-5-10
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