文学のお散歩

東京近郊・近代文学を中心に作家・作品ゆかりの地をご紹介します。

伊藤左千夫の墓・耕牧舎跡

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亀戸天神の隣に、鬱蒼とした樹々に覆われた「普門寺」というお寺があります。

     

伊藤左千夫(元治1.8.18(陰暦)~大正2.7.30 歌人・小説家・酪農家)のお墓のあるお寺です。

     

「民さんは野菊のような人だ。」

 

山口百恵松田聖子主演の映画でもよく知られた小説「野菊の墓(明治39.1『ホトトギス』)の作者ですが、正岡子規(慶応3.9.17(陰暦)~明治35.9.19 歌人俳人)に師事した根岸派の有力歌人でもあり、子規没後に機関紙『馬酔木』や『アララギ』の中心歌人としても活躍した人物です。

https://www.ndl.go.jp/portrait/img/portrait/6064_2.jpg

(伊藤左千夫)

そんな左千夫のお墓のあるお寺ですが・・・鬱蒼と樹々が生い茂り草はボーボー。

もとはきっと立派なお寺さんだったのだろうと伺えますが、ブルーシートが敷かれたところなどもあり・・・なんだかもう「寺じまい」ですか?というような雰囲気を醸し出しています。

     

お墓は大丈夫だろうか?と思いながら墓所に進んでいくと案内の標柱があり、

     

その奥にありました。

     

お寺の鬱蒼加減とは違って、墓所は手入れがきちんとされたお墓も多くほっとしました。左千夫のお墓もファンの方でしょうか、花を供えた跡があります。奥まったところで静かに休まっているような雰囲気のお墓です。

 

 

さて、こちらはお墓のある亀戸のお隣錦糸町。駅前東口には伊藤左千夫の文学碑があります。

     

よき日には 庭にゆさぶり 雨の日は 家とよもして 児等が遊ぶも

 

左千夫が、家で遊ぶ子どもたちの様子を詠んだものです。

なぜここに左千夫の文学碑があるのかというと、ここにはかつて左千夫の営む「耕牧舎」がありました。

     

左千夫は歌を始める前は、東京や神奈川で牧場に勤めており、明治22年にこの地を購入し牧場を開いていたのです。牧場経営が軌道に乗り、和歌や茶道を嗜む趣味人となり、文学の道でも頭角を現していったのだそうです。

錦糸町の耕牧舎は明治43年の水害ののち、南葛飾郡大島町(現:江東区大島)に移転されました。

 

参考文献

野菊の墓伊藤左千夫 1979 岩波文庫

野菊の墓 他四篇

伊藤 左千夫 岩波書店 1970年01月16日頃
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普門寺

東京都江東区亀戸3-43-3

伊藤左千夫牧舎兼住居跡

東京都墨田区江東橋3-14-6

 

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