慶応義塾大学三田キャンパスの南校舎隣り、稲荷山にある「三田演説館」は、日本最古の演説会堂です。
演説、スピーチ、ディベートというと、今では自分の意思を多数の相手に伝える手段として広く行われていることですが、日本に初めてこの方法を伝えたのは、福沢諭吉とその門下生たちでした。
西洋で行われている演説を、日本に広める必要性を強く感じた福沢諭吉は、明治7年に三田演説会を組織し一般に公開。演説や討論の仕方の手ほどきを記した書籍等を発表し、普及に努めました。スピーチを「演説」、ディベートをと「討論」と翻訳したのも福沢です。
日本初の演説会堂となるこの三田演説館は、明治8年5月1日に開館。
建物は、木造瓦葺、なまこ壁という、和風建築の手法によっていますが、図案はアメリカから取り寄せた洋風建築の手法が取り入れられた、和洋折衷建築になっており、明治初期の珍しい建築遺構となっています。
福沢は晩年、
其規模こそ小なれ、日本開闢以来最第一着の建築、国民の記憶に存す可きものにして、幸に無事に保存することを得ば、後五百年、一種の古跡として見物する人もある可し
と述べています。
演説館は、大正4年に東京府指定史跡建造物に、昭和42年に国の重要文化財に指定されました。
三田にはかつて、演説館の他に「三田大講堂」という、赤レンガ・ゴシック様式の二千人を収容する大講堂もありましたが、残念ながら東京大空襲で焼失してしまいました。
(三田大講堂「曾禰中條建築事務所と慶応義塾」展 展示模型より)
三田山上に、福沢存命中からある建築物は、現在三田演説館だけとなっています。
三田演説館は、現在は通常非公開ですが、今でも三田演説会、ウェーランド講演会など、義塾にとって重要な演説会・講演会はここで行われており、また年に数日、期間限定で一般に公開される機会も設けられています。
東京都港区三田2-15-45
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