芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)、「萩寺」を出た一行は亀戸天神へ向かいます。
亀戸天神は言わずと知れた、学問の神様菅原道真公(承和12.6.25~延喜3.2.25 平安貴族・学者)を祀った神社。
寛文2年、明暦の大火の復興事業として江戸幕府から土地を寄進され、ここ亀戸に建立されました。
社殿をはじめ楼門、心字池、太鼓橋など、九州の太宰府天満宮に倣って造営され「東の太宰府」と称されています。
いつも受験生をはじめ、多くの参拝者で賑わう神社です。
梅園や藤棚など、四季折々の花々の美しさも見所の神社。
本所両国で育った芥川にとっても身近な神社でした。
(芥川龍之介)
芥川の「本所両国」には、江戸から明治、大正、昭和と目まぐるしく変貌していく故郷本所の流転の相が描かれますが、さすがに「天神様」は昔のままの姿でした。
「天神様」の拝殿は仕合せにも昔に変つてゐない。いや、昔に変つてゐないのは筆塚や石の牛も同じことである。僕jは僕の小学時代に古い筆を何本も筆塚へ納めたことを思ひ出した。(が、僕の字は何年たつても、一向に上達する容子はない。)
(中略)
「太鼓橋も昔の通りですか?」
「ええ、しかしこんなに小さかつたかな。」
「子供の時に大きいと思つたものは存外あとでは小さいものですね。」
「それは太鼓橋ばかりぢやないかも知れない。」
僕等はのれんをかけた掛け茶屋越にどんより水光りのする池を見ながら、やつと短い花房を垂らした藤棚の下を歩いていつた。この掛け茶屋や藤棚もやはり昔に変つてゐない。(「天神様」)
と記しています。
けれどその昔のままの江戸の風流を感じさせる「天神様」にも、やはり近代は入り込んでいて、広場では法律書を売りつける男や「最新化学応用の目薬」を売りつけるいかがわしい男がいたり、はたまた一方の見世物小屋では「活き人形」や「からくり」がかかっていたりと、境内は新旧聖俗混淆。
「こつちは法律、向うは化学――ですね。」
「亀戸も科学の世界になつたのでしせう。」
と皮肉をいわなければならない有様になっていました。
久しぶりに「天神様」にお詣りした「僕等」一行。次は昔馴染みの「船橋屋」へ葛餅を食べに向かいます。
大川の水/追憶/本所両国 | ||||
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参考文献
『芥川龍之介全集 第十五巻』芥川龍之介 1997.1.8 岩波書店
『年表作家読本 芥川龍之介』鷺只雄 1992.6.30 河出書房新社
『新潮日本文学アルバム13 芥川龍之介』1983.10.20 新潮社
東京都墨田区亀戸3-6-1
☎0336810010
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