芥川龍之介(明治25.3.1~昭和2.7.24 小説家)の「本所両国」(昭和2.5.2~22『東京日日新聞(夕刊)』)最終章は、「方丈記」と題して「僕」「妻」「父」「母」「伯母」の会話形式で綴られていきます。
僕「けふ本所へ行つて来ましたよ。」
父「本所もすつかり変つたな。」
母「うちの近所はどうなつてゐるえ?」
僕「どうなつてゐるつて・・・・・・釣竿屋の石井さんにうちを売つたでせう。あの石井さんのあるだけですね。ああ、それから提灯屋もあつた。」
と「僕」が見聞してきた本所の変貌を、家族が追想と驚愕を交えて聞いていきます。その中で、
父「臥龍梅はもうなくなつたんだらうな?」
僕「ええ、あれはもうとうに・・・・・・さあ、これから驚いたといふことを十五回だけ書かなければならない。」
というくだりがあります。
「臥龍梅」というのは、歌川広重(寛政9~安政5.9.6 浮世絵師)の描いた有名な梅の絵で知られる「亀戸梅屋敷」にあった梅の木のこと。
(広重『江戸名所百景 亀戸梅屋敷』国立国会図書館デジタルコレクション)
この絵はフィンセント・ファン・ゴッホ(1853.3.30~1890.7.29 画家)が模写したことでも有名な絵です。
「亀戸梅屋敷」は浅草の伊勢屋彦左衛門の別荘として作られたもので、正式名は「清香園」。「臥龍梅」は梅屋敷のなかでも特に大きな木で、枝が地中に出たり入ったりしていて、まるで龍が臥しているかのように見えたのだそうです。「臥龍梅」の名付け親は水戸の黄門様こと水戸光圀(寛永5.6.10~元禄13.2.6 水戸藩第2代藩主)。「亀戸梅屋敷」は江戸から明治にかけて、梅見の名所として花見客でたいそう賑わったのだそうですが、明治43年の水害で梅樹が枯死したため廃園となってしまいました。
現在はその跡に「臥龍梅跡」の石碑と一本の梅の木が、記念に植えられて・・・
いたはずなのに・・・あれっ⁉
ないではありませんか‼
梅の木だけは一本寂しくあるものの、石碑と案内板はありません。
いかにも抜き取られたような穴があるばかり・・・。
ええっ‼一体全体どうしたのでしょう⁇
腑に落ちないまま辺りを歩きましたが何も見つからず、今現在「亀戸梅屋敷」の名残を見せるのは「梅屋敷伏見稲荷神社」だけとなってしまっているようです。
「梅屋敷伏見稲荷神社」は小さな祠ですが周りを梅の木で囲まれた、梅屋敷らしい可憐な祠です。
お稲荷様をお詣りして、仕方なく亀戸駅の方に歩いていくと、途中にあるのがその名もズバリ「亀戸梅屋敷」という商業施設。
「亀戸梅屋敷」を記念して作られた、コミュニティセンター的な風情のお土産屋さんといった感じの施設です。
寄席もあるようです。
でも訪れたのが平日の昼間だったためか、人足はまばらです。
それでもせっかく来たのだから、何かそれっぽいものをと思っていたら・・・
「電気ブランアイス」!
「電気ブラン」といえば浅草の「神谷バー」が有名ですが、なんじゃこりゃ、まあちょっとレトロ旅っぽいかと思い注文してみました。
すると・・・
これ・・・あってますか⁇
グズグズ、ブニュブニュ・・・。
アイスなんだか何なんだか・・・。
味は確かに「電気ブラン」ですが・・・。
抜き取られた石碑といい、このアイスといい・・・。
何とも残念な「亀戸梅屋敷」旅でした。
文学散歩をやっていると、まあ、時にはこんなこともあるもんですね。
気を取り直して、次行ってみようと思いますww。
参考文献
『芥川龍之介全集 第十五巻』芥川龍之介 1997.1.8 岩波書店
『年表作家読本 芥川龍之介』鷺只雄 1992.6.30 河出書房新社
『新潮日本文学アルバム13 芥川龍之介』1983.10.20 新潮社
大川の水/追憶/本所両国 |
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梅屋敷伏見稲荷神社
東京都江東区亀戸3-51
亀戸梅屋敷
東京都江東区亀戸4-18-8
☎0368029550
https://kameido-umeyashiki.com
営業時間 10:00~18:00
定休日 年中無休
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