呉服商・越後屋を前身とする日本初の百貨店「三越百貨店日本橋本店」の屋上には、

「漱石の越後屋」という文学碑があります。

なぜに「漱石の越後屋」なのかというと、夏目漱石(慶応3.1.5(陰暦)~大正5.12.9 小説家)の小説にはしばしば「越後屋」「三越呉服店」が登場するから。

自伝的色合いの濃い「道草」(大正4.6.3~9.14 『朝日新聞』)には、
然し健三に対する夫婦は金の件に掛けて寧ろ不思議な位寛大であつた。外へ出る時は黄八丈の羽織を着せたり、縮緬の着物を買ふために、わざわざ越後屋迄引つ張つて行つたりした。其越後屋の店へ腰を掛けて、柄を択り分けてゐる間に、夕暮の時間が逼つたので、大勢の小僧が広い間口の雨戸を、両側から一度に締め出した時、彼は急に恐ろしくなつて、大きな声を揚げて泣き出したこともあつた。(四十)

と幼い健三が、越後屋で養父母から上等な着物をあつらえてもらっている様子が描かれていたり、
「三四郎」(明治41.9.1~12.29 『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』)には、
三四郎は朝のうちに湯に行つた。閑人の少ない世の中だから、午前は頗る空いてゐる。三四郎は板の間に懸けてある三越呉服店の看板を見た。奇麗な女が画いてある。其女の顔が何所か美禰子に似てゐる。(六の九)
と三四郎が三越の看板のモデルに、美禰子を重ねてみたりという具合に。
(夏目漱石)
そして「虞美人草」(明治40.6.23~20.29『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』)では、なんと三越が漱石の小説とタイアップして「虞美人草」(ひなげしの花)柄の浴衣を発売!

(『虞美人草』橋口五葉装幀 明治41.1.1 春陽堂)
「虞美人草」は、漱石が東京帝国大学と第一高等学校の教職を辞し、朝日新聞社に入社して最初に書いた新聞連載小説。漱石も執筆に意気込んでいたのでしょうが、三越の方も意気込んで連載開始直後から浴衣地の広告を新聞に掲げ、双方大反響だったのだそうです。明治の時代にいち早く、コラボ商戦を展開していたというわけですね。


(レトロな「地下鐵入口」サインがかわいい♡)

日本橋川を挟んだ対岸、「COREDO日本橋」裏には、

「漱石名作の舞台」の文学碑。
先の越後屋の文学碑とよく似た石碑ですが、これも漱石作品に日本橋辺りがよくか活写されていたため、ここに設置されています。

COREDO日本橋。以前はここに「東急百貨店日本橋店」があり、その元は越後屋と同じく呉服商として江戸時代から日本橋に店を構え、明治期に百貨店となった「白木屋」でした。

白木屋は、「白木名水」や「白木観音」、日本初のショーウインドウやエレベーターを擁する百貨店。まだ座売り形式の販売をしていた三越に先んじ、日本で初めて西洋風の全館陳列式での販売を始めた画期的な百貨店でした。

「此御正月、白木屋に入らつしやいまして、御求め遊ばしたので――鶯茶へ相撲の番附を染め出したので御座います。妾しには地味過ぎていやだから御前にあげ様と仰つた、あれで御座います」「あらいやだ。善く似合うのね。にくらしいは」「恐れ入ります」「褒めたんぢやない。にくらしいんだよ」「へえ」(三)
「吾輩は猫である」(明治38.1.1~39.8.1『ホトトギス』)で、猫の吾輩君が、実業家金田の家に忍び込んで聞いた、ハイカラ令嬢富子と小間使いの会話の中には白木屋が出てきます。白木屋は「猫伝」発表の2年前に、塔屋を持つ歌舞伎座のような和洋折衷3階建ての新館を建てたばかりでしたが、さすがはハイカラ富子さん、最新のデパアトメントストアーでお買い物を楽しんでいたのですね。
他には、漱石の日記にも白木屋は登場していて、
細君が白木屋の見切売出しに買物に行く。今日は松根が妻と豊隆を食傷新道の初音へ連れていくのだといふ。白木屋で襦袢の袖を見て来いといつてやる。(明治42.4.2)
と実生活でも夏目家は、日本橋でのお買い物を楽しんでいた様子がうかがえます。
また、ここに見える「食傷新道」というのは、「木原店」とも呼ばれた白木屋北側の小路で、飲食店が立ち並ぶ賑やかな通りでした。「初音」というのは鳥鍋屋のことで、大の潔癖症で行く店が限られていた泉鏡花(明治6.11.4~昭和14.9.7 小説家)さえも贔屓にしていたという名店。ここに松根東洋城(明治11.2.25~昭和39.10.28 俳人)が、漱石の妻鏡子(明治10.7.21~昭和38.4.18)と小宮豊隆(明治17.3.7~41.5.3 独文学者・評論家)を連れて行ったというのですね。
食傷新道には「木原亭」という寄席もあり「三四郎」には、
其日の夕方、与次郎は三四郎を拉して、四丁目から電車に乗つて、新橋へ行つて、新橋から又引き返して、日本橋へ来て、そこで下りて、
「どうだ」と聞いた。
次に大通りから細い横丁へ曲つて、平の家と云ふ看板のある料理屋へ上がつて、晩飯を食つて酒を呑んだ。其所の下女はみんな京都弁を使ふ。甚だ纏綿している。表へ出た与次郎は赤い顔をして、又
「どうだ」と聞いた。
次に本場の寄席へ連れて行つてやると云つて、又細い横町へ這入つて、木原店(ママ)と云ふ寄席へ上がつた。此所で小さんといふ話し家を聞いた。(三の四)
と三四郎が友人の佐々木与次郎に連れられて、京都に本店を構える「平の家」の日本橋支店で食事をしたあと木原亭で、名人小さんの落語を聞く場面が描かれています。
「心」(大正3.4.20~8.11『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』)でも、
三人は日本橋へ行つて買ひたいものを買ひました。買ふ間も色々気が変るので、思つたより暇がかゝりました。奥さんはわざわざ私の名を呼んで何だらうと相談をするのです。時々反物を御嬢さんの肩から胸へ竪に宛てゝ置いて、私に二三歩遠退いて見て呉れろといふのです。私は其度ごとに、それは駄目だとか、それは能く似合ふとか、兎に角一人前の口を聞きました。
斯んな事で時間が掛かつて帰りは夕飯の時刻になりました。奥さんは私に対する御礼に何か御馳走すると云つて、木原店といふ寄席のある狭い横町へ私を連れ込みました。横丁も狭いが、飯を食はせる家も狭いものでした。此辺の地理を一向心得ない私は、奥さんの知識に驚ろいた位です。(七十一 下 先生と遺書十七)
若かりし日の「私」こと先生が、御嬢さんと奥さんと日本橋で買い物をしたあと、木原店で食事をしているという具合に、漱石の小説に実にたくさん日本橋·食傷新道辺りが登場しているのです。
日本橋川を挟んだ二つの老舗百貨店(白木屋は跡)に置かれた、似たような二つの漱石の文学碑には、グルメ、ショッピング、エンタメで賑わった明治の繁華な街並を偲ぶことができます。
日本橋三越本店
東京都中央区日本橋室町1-4-1
☎0332413311
営業時間 10:00~19:00
漱石名作の舞台
東京都中央区日本橋1-4-1COREDO日本橋裏
参考文献
『漱石全集 第一巻』夏目金之助 1993.12.9 岩波書店
『漱石全集 第四巻』夏目金之助 1994.3.9 岩波書店
『漱石全集 第五巻』夏目金之助 1994.4.11 岩波書店
『漱石全集 第九巻』夏目金之助 1994.9.9 岩波書店
『漱石全集 第十巻』夏目金之助 1994.10.7 岩波書店
『漱石全集 第二十巻』夏目金之助 1996.7 岩波書店
『漱石と歩く、明治の東京』広岡祐 2012.4.20 祥伝社
『名所探訪 地図から消えた東京遺産』田中聡 1999.1.20 祥伝社
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