文学のお散歩

東京近郊・近代文学を中心に作家・作品ゆかりの地をご紹介します。

番町文人通り

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千代田区番町麹町界隈には、明治~昭和にかけて文士や画家が多く住んだ通りがあります。

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「番町文人通り」。大妻通りの一番町20の先から麹町大通に面した麹町6丁目6を東西に結ぶ通りで、通りの名前は有島生馬(明治15.11.26~昭和49.9.15 画家・小説家)の「山の手麹町」(「大東京繁盛記」昭和2.10.19~23『東京日日新聞新聞』)に、「去年、幸田露伴先生が裏の借家を見に来られた時、こゝは文人町ですねといって帰られたそうだが、」とあることに由来するのだそうです。

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このあたりは江戸時代旗本屋敷で、手頃な敷地に分割されていたことや、東京の中心で交通の便がよい割には静かな住環境であったことから、多くの文人たちが住むことになったのであろうといわれています。

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千代田中学校・高等学校の脇に、与謝野鉄幹(明治6.2.26~昭和10.3.26 歌人)・晶子(明治11.12.7~昭和17.5.29 歌人)夫妻の居住跡。

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与謝野鉄幹

             (与謝野晶子)https://www.ndl.go.jp/portrait/img/portrait/0347_6.jpg

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日本テレビを過ぎ番町の森の交差点斜向かいに、北村透谷(明治元.11.16~5.16 評論家・詩人)島崎藤村(明治5.2.17~18.8.22 詩人・小説家)ら『女学雑誌』の人々が教鞭を取った明治女学校跡。

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そのすぐ先には菊池寛(明治21.12.26~昭和23.3.6 小説家・劇作家)の居住跡があります。

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ここはすぐ隣にある有島武郎(明治11.3.4~大正12.6.9 小説家)・生馬・里見弴(明治21.7.14~昭和58.1.21 小説家)兄弟の旧居のうち、武郎の住んだ本家があった所で、武郎亡き後空き家となっていた所に、大正15年菊池寛が間借りをし、文芸春秋社の事務所もここに置いていました。
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(菊池寛)
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有島武郎・生馬・里見弴兄弟の旧居。

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現在立派なマンションが建っているこの地にあった有島邸は、明治29年に三兄弟の父武(天保13.2.10(陰暦)~大正5.12.4 官僚・実業家)が購入したもので、先の生馬の「山の手麴町」によると、

 

私達は父の代(日清戦争の頃)から、もう三十年もこの町に住んでいるのだが、建物たるや時代つきの大変な古物である。百年たった家か二百年たった家か更に分からない。何々の守といった小旗本の屋敷だったことだけは、古地図を見ても確かだが、誰が造ったのか、誰が住んでいたのか、兎も角現住の私自身は知らない。

 

とあり、当時すでに大変古い屋敷だったようで、この辺りは関東大震災で焼けてしまった所も多いのですが、震災後もわずかに残る旗本屋敷であり、有島兄弟はこの屋敷を大切に住まっていたようです。菊池が借りた元武郎の住まいは、明治30年代頃に父武が新築した屋敷だったそうです。

                (有島武郎)https://www.ndl.go.jp/portrait/img/portrait/0228_1.jpg

https://www.ndl.go.jp/portrait/img/portrait/6242_4.jpg

(里見弴)

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有島邸から市ヶ谷駅方面に少し入ると、泉鏡花(明治6.11.4~昭和14.9.7 小説家)のいわゆる「番町の家」。

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鏡花は明治43年の37歳から66歳で亡くなるまでの29年間、ここにあった二軒長屋の左側に、愛妻で「婦系図(明治40.1.1~4.28『やまと新聞』)のお蔦のモデルとなった元芸妓桃太郎ことすゞ(明治14.9.28~昭和25.1.20)と仲睦まじく暮らしていました。

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生馬によると、

 

私が夏庭に出て、竜吐水で水をまきながら、先生の玄関にもと思って、ちゅうちゅうやっていると、奥さんが格子窓から首を出して、あなた、座敷の中に水が飛び込みますよ、と怒鳴られる近さである。

 

とあり、親しい近所付き合いが文人仲間で交わされていたことが窺えます。

                (泉鏡花)https://www.ndl.go.jp/portrait/img/portrait/0230_1.jpg

この鏡花の「番町の家」は、慶應義塾ミュージアム・コモンズのホームページ内に、「再現!番町の家」(https://kyoka.kemco.keio.ac.jp./#/)というページがあり、「番町の家」の様子や鏡花の愛用品などを、鏡花先生を模したうさぎのキャラクター「ぴょん」を動かしながら見ることができます。

 

kyoka.kemco.keio.ac.jp.

 

 

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「番町の家」から「文人通り」に戻り、さらに進むと島崎藤村の居住跡。藤村は有島生馬の勧めで、洋行帰りの昭和12年からからここに居住しています。

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番町と藤村といえば、先程みてきた「明治女学校」。藤村は若き日、「明治女学校」で英文学の教師をしていたのですが、教え子の佐藤輔子に恋をしてしまいました。けれど輔子にはすでに婚約者がおり、藤村先生は敢え無く失恋。その時の思いを「春」(明治41.4.7~8.19『東京朝日新聞』)という小説に結実していますが、年老いて苦い失恋の地に住むことになるとは・・・どんな気持ちだったのかしら?もうそんな過去のことはかまわず、藤村翁は達観してしまっていたのかしら?となにやらいらぬ想像をしてしまいますw。

https://www.ndl.go.jp/portrait/img/portrait/0276_4.jpg

(島崎藤村)

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さて、麹町大通まで行き着くと、画家の藤田嗣治(明治19.11.27~昭和43.1.29 画家・彫刻家)の居住跡。 

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大通へ出るとすぐその先は上智大学です。

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番町文人通り

東京都千代田区

 

参考文献

『大東京繫盛記 山手編』島崎藤村高浜虚子・有島生馬・谷崎精二徳田秋声・藤井浩祐・藤森成吉・加能作次郎・宮嶋資夫・小山内薫上司小剣 199.4.15 平凡社

 

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また肖像画像は、国立国会図書館電子展示会「近代日本人の肖像」https://www.ndl.go.jp/portrait/より転載しています。